社会経済システム

Click to
Start

あなたは、これからの時代において価値あるものや富は何だと思いますか? 主義や主張の違いによる自由や権利への侵害、様々な分野での格差の広がりなど多くの問題を抱えている現代ですが、本当に価値あるものとは何でしょうか? 「違いを認め合える」「持てるものが持たざる者を支援していく」そのような自利他利な世界を作るためにはどのようにしていけば良いのでしょうか? この章ではその解決策を実現するための社会と経済の仕組みについて考えてみたいと思います。

これからの時代において価値あるもの

人々が幸せを感じながら生きていくために最低限必要なことが2つあると言われています。

1つ目は食欲や睡眠欲といった生理的欲求を満たすこと。
2つ目は身体的・精神的に安全な場の確保という安全欲求を満たすこと。

これらが満たされて初めて人々は次の欲求・幸せを欲することになります。マズローの法則によると次の欲求は社会的欲求と承認欲求となっています。これらはそれぞれ平等と公平性と言い換えることもできるでしょう。前者は単純な平等、後者は結果 (得られる利益) から考えた平等であり、より高度な価値のある考え方かも知れません。

人は、3日間寝なかったらどうなるのか?

みなさんは、仕事やテストに追われて、睡眠不足に陥ったことはありますか? 1 日や 2 日間の徹夜を経験している人は多いかもしれませんが、3日間不眠不休だとどうなるのか? まず、2 日間続くと、身体からブドウ糖を代謝する能力が失われ、免疫システムがストップしてしまいます。また、3 日間不眠状態が続いた場合は、全身の震えが止まらなくなったり、会話が困難になったり、挙句の果てには、幻覚を見たりすることもあるようです。

食欲についても同様のことが言えます。世界では毎晩 8 億 2,800 万人が空腹のまま眠りにつくといわれ、深刻な飢餓に苦しむ人々は、3 億 4,500 万人を超えていると言われています。このように、人間の根源的欲求である「睡眠欲」や「食欲」が満たされない場面においては、おしゃれをしたいだとか、誰かに認められたいだとか、ましてや夢を叶えたいなどとは思わなくなり、とにかく生き残るための欲求を満たすことしか考えられなくなります。

この人間が持つ欲求を整理したマズロー氏の 5 段階欲求説では、食欲や睡眠欲、性欲などの『生理的欲求』と身体的・精神的安全を求める『安全欲求』は、主に「物質的欲求」と呼ばれ、「衣・食・住」を中心としたこれらの欲求が満たされなければ、精神的な欲求は欲することもないと言われ、人類幸福のベースとして定義されました。 つまり、他者のことを考える、ましてや地球全体のことに気を使うことができるようになるには、基本的な欲求が満たされる必要があるということです。また、日本においては、日本国憲法 25 条の生存権に、「健康で文化的な最低限度の生活」や「社会福祉・保障、公衆衛生の向上」が規定されており、物質的欲求を守る仕組みが機能しているため、日本においては、人々は理性を失うことなく平和で幸せな社会を築けているのでしょう。

あなたに合った自転車はどれか?

下表は、背の高い男性と平均的な背の女性、足の不自由な女性と、小さな子供の 4 人を例に、平等と公平を説明しています。上段が全員に同じ自転車を渡す「平等」ですが、問題なく乗れたのは平均的な背の女性だけで、背の高い男性と子供はとても乗りにくそうにしていて、足の不自由な女性は、乗ることすら出来ていません。一方下段は、「公平」の考え方のもと、それぞれの身体の大きさや事情に応じた自転車を渡しており、全員が問題なく乗ることが出来ました。

同じものを渡す「平等」の考え方は、「手段を均一」にしており、本質的な問題解決になっていないのがわかるでしょう。一方、「公平」の考え方で個々人に合った自転車を渡すのは、自転車に乗ることができるという「機会の均一」を図ることができます。このように、手段と機会に対して、均一か否かが「平等」と「公平」の違いになります。

図1. 平等と公正・公平の違い
(週刊 経団連タイムス 2022年1月13日より抜粋)

上段で提示した「物質的欲求」や「精神的欲求」の充足においても、機会の均一化をすることで、本質的な問題解決に繋がるように考える必要があるということです。

公平性とは?

社会がその参加者に対して何らかの公平性を達成すべきということに異論を唱える人は少ないと思いますが、我々は本質的な多様性を有する中で何が公平であるべきなのでしょうか。ある尺度で公平性を達成した場合、論理的に考えて他の公平性の尺度を同時に達成することはできません。「公平な社会」という言葉は何を公平にするのかがとても重要になります。まず、公平性の尺度はどうあるべきなのでしょうか。

社会の総量を対象とした考え方としては、人の重みに対する公平性、お金の価値に対する公平性、各人の幸福の増分に対する公平性などの考え方があり、これらの公平性を担保した上で、その単位に対する総量 (賛成する人の数、貨幣の総量、幸福の総量など) の最大化を目指す社会が正しいとする考え方 (民主主義、資本主義、功利主義など) があります。

社会の総量の最大化を目指す考え方は一面では合理的ですが、民主主義において少数派の利益が守られないことや資本主義における貧富の格差など、課題が顕在化している通り問題がありそうです。総量の最大化だけでは、社会が直面している分布の不公平を取り扱えないし、私たちの多様性も捨象しています。私たちが格差など不公平の問題を解決していくためには、より多様性を考慮した個人の公平性に焦点を当てた尺度で考えていく必要があるように見えます。

それでは個人を対象とした公平性の考え方を見てみましょう。まずは結果としての幸福の公平性が思いあたります。公平な幸福は一見して究極的な目標のようにも見えますが、幸福は持続的な差別がある場合に不公平が分からなくなるという課題があります。例えば持続的な身分差別が固定化した世界を考えた時に、低い身分に置かれた人も小さな改善に幸福を感じるため、幸福の公平だけ見れば明らかな差別的待遇があっても放置してよいという結果になりかねません。見方によっては一定の支持を与えるこの結果は、私たちにとってすばらしい新世界と言えるでしょうか。社会の公平性を向上するための実際的な尺度としての目線で見ると、この考えには難しさがあります。

幸福のような心理的な尺度が実際的に社会の公平性を評価できないとすると、どのような尺度で公平性を捉えるべきなのでしょうか。私たちが本質的に多様性を有していること、そして自らその前提条件を変えられないことを踏まえると、自ずと公平を担保する尺度も多様性を反映した尺度の束の全体となっていく必要があるでしょう。

少し見方を変えますが、達成すべき公平の焦点は「成果の公平性」と「成果を達成する前提条件の公平性」のどちらに置かれるべきなのでしょうか。成果を達成する前提条件の公平性を有する人には、未来を選ぶ自由が付与されているとも考えられます。だから、ここで考慮すべきは未来を選ぶ自由の価値かもしれません。

もし自由がそれ自体、公平性と並んで重要な価値を持っているとすると、公平性の焦点は自由をも包含する「成果を出すための前提条件」になると考える人も多いのではないでしょうか。(もっと極端に言えば、人は自ら不幸になる自由さえも欲しているかも知れません)

上記を踏まえると、私たちの社会として本質的な多様性を反映した多様な尺度の束の全体で、成果を出すための前提条件としての公平性、アマルティア・センの言い方に倣えば「自由の公平性」を達成していくべきという考え方に一定の合理性があるように感じられます。

どのように公平性を達成していくのか

私たちの社会として本質的な多様性を反映した多様な尺度の束の全体で成果を出すための前提条件の公平性、即ち自由の公平性を達成していくべきという考え方を見てきましたが、具体的にはどのようにこれを達成すればいいのでしょうか。

私たちは、個人として多様な才能などの前提条件を持っていますが、なぜ私は私なのか、その前提条件は生まれる前には選べません。具体的に見れば、運動や芸術、勉学などを含む様々な才能、性別、人種、親の経済力などのほか、生まれた地域や国籍、教育制度、職業選択の自由度、社会保障制度などを含む非常に多様な前提条件の束は与えられたものだから、それらに対して社会は公平性を目指すべきでしょう。しかも、私たちは自分なりの人生を送る自由を有しているので、全ての前提条件は必ずしも全て使用されるとは限りませんし、恐らく多くの才能は限界までは使われないまま終わります。

前提条件の中には現代社会では観察できないものも多くあって、他方で自由を行使した結果として、多様性のある成果についてのみ私たちは現実に観察できるという関係性にあります。一見するとこうした前提条件は観察されないため、その不公平が発見できないように見えます。しかし、多様性ある成果に対する沢山ある情報を頼りに、その公平性に偏りがないか分析していくことで、裏側にある前提条件に対する不公平を発見し改善することができるようになるかも知れません。

社会の涵養力

社会の涵養力って聞いたことありますか?

現代社会では、SNS、動画配信、勿論、この E6 Visionary Blogを含め、自身の思想、感想を簡単に全世界へ発信できるようになりました。ひと昔前は、街角で起きた事件・事故などを新聞やニュースで後から配信することが殆どで、リアルタイムの状況を伝えるにはタイムラグがありました。しかし、今は、誰もが携帯電話で写真、動画をリアルタイムに撮影することができ、その場で配信できることができるようになり、これまでアナウンサーの言葉やニュース記事で想像していたシーンが、映像で直接的に目に飛び込んでくるようになったのです。つまり、メディアフィルタのかからない、リアリティのある臨場感を伴うニュース・報道が増え、視聴者にそれについての判断を委ねる機会が多くなりました。

この現代社会においては、あらゆる出来事への多様性ある思想、感想を自ら発信できることの自由と引き換えに、その発信した主張に対する賛否も同時に受け止めなければなりません。また、それによって思わず人生を狂わせてしまう人たちが、ひと昔前より圧倒的に多くなってきたのではないでしょうか。その主張が、意図せず、或いは意図的に人を傷つけることになったり、報復メッセージの応酬がなされたりしたら、それは多様性と言えるでしょうか?

私たちは、公平性の確保された社会・経済システムを検討するにあたって、「価値の可視化と再配分が持続可能な社会」が実現することが重要ではないかと考えています。再分配の仕組みを持続可能にするためには、強制力のない自発的な『善行』を世の中に浸透させなければなりません。つまり、エモーショナルな社会基盤として「社会の涵養力 (かんようりょく) 」が必要となるのです。

雨は大地を潤し、ゆっくりと地下へと水は浸透し、やがて地下水となりますが、これを語源にもつ「涵養 (かんよう) 」は転じて、自然に水がしみこむように、徐々に教え養うことを意味します。強制力の無い自発的な善行を誘発するには、ヒトが、徳性・人格・教養・文化・精神性など、時間をかけ、染み渡るように養い育てる環境が必要で、このことを私たちは、エモーショナルな社会基盤としての「社会の涵養力」と定義しました。

涵養力を社会に浸透させるためにはどのような仕掛けが必要でしょうか。そもそも、社会というものは、家庭や学校など様々なコミュニティで構成されているため、各コミュニティが持つべき価値観や Well-Being といった個々人に影響する側面と、教育やインセンティブといった社会全体に影響する側面とが必要です。社会を構成するコミュニティそれぞれのレベルに合わせた仕掛けが必要なのです。

これからのコミュニティとは?

歴史を振り返ると、技術の進展等に伴いコミュニティの在り様も変化してきました。例えば、農耕社会では、食料は自給自足され、地域や家族中心の同質的コミュニティが形成されました。産業革命以降の工業化社会では、社会全体で分業が進み、効率性が重視された会社中心のコミュニティができています。

ではこれからのコミュニティはどう変わっていくでしょうか。テクノロジーの発展により、地理や言語の壁を越えて、世界中の人々と繋がることが可能になりました。人間関係は固定的なものから弾力的で柔軟な関係を構築しやすくなり、コミュニティ形成は現実世界のみならず、バーチャル空間に拡張しています。その結果、人は多様なコミュニティと柔軟に関係を持つことで心地よい居場所を見つけたり、新しい価値の創出に繋がったりできる可能性もあります。一方で同じ考えを持つ人が集まりやすくなり、コミュニティ間の分断が広がる可能性もあります。

多様な個人が幸福感を感じる社会では、固定的なコミュニティに縛られるのではなく、参加、退出の自由があり、参加したコミュニティでの価値交換を通じ、他者との共感を得られることが重要です。この価値交換を通じた自律的な価値観のすり合わせがコミュニティや社会を望む方向に変容していく力になるのです。一方で、世界中の人々と繋がりを持てる社会においては孤立を解消する支援や、繋がりを望まない人への配慮といった観点も必要でしょう。

「知る」という権利

皆さんが生活している社会や経済のシステムが成り立つための前提の 1 つとして「公平性の確保」ということが挙げられます。その中でも、物事を「知る」という権利は大きな要素です。この知る権利は、「一人一人が豊な人生を送る」、「自分がやりたい事や夢の実現といった『自己実現を果たす』」ことにつながります。これから長い人生を歩んでいく皆さんには、「世の中には何があるのか」、「どんな仕事があるのか」ということを知る機会が平等に与えられるような仕組みが必要です。

その仕組みの一つが教育です。日本の法律の中に、教育についての原則を定めた教育基本法というものがあります。図 1 は、教育基本法の第三条・第四条です。

図1. 教育基本法 第三条・第四条

例えば、「ある子供達」に「世界中の仕事が載っている本」を渡したとします。「ある子供達」は、世の中にどんな仕事があるのか理解できたのでしょうか?「そんなの本に書いてあることを読めば分かるよ。そんなの当たり前だよ。」と思いますか? それでは、「ある子供達」もし学校に通うことができず、文字の読み書きなどの最低限の教育が受けられない子供達であったとしたらどうでしょう。もしかすると、世の中にどのような仕事があるのかを知ることができないかもしれません。

このように、読み書きといった最低限の教育が行き渡っていないと、伝えたいことが伝わらないといった問題が起こります。この点からも、基本となる教育の平等化が必要です。世界中の子供達が、平等に教育の機会を得られることが最も望ましいことですが、世界には貧困が原因で教育が普及しない国があります。「学校には行けなくても、インターネットを通して学習をすることは出来る」と思われる方もおられるでしょう。しかしながら、世界には学校や先生が足りない国や、インターネットなどの通信設備や環境が整っていない国も多くあります。一方で、通信設備や環境が整備されているにもかかわらず、自由に利用できない国もあります。 国ごとに情報に関する戦略が違い、すぐにこの課題を解決することはとても難しいことです。時間はかかったとしても、デジタル教材の普及とデジタル格差および規制を緩やかにすることで、徐々に世界中の子供達が「世間を知る」機会を増やしていくことはとても重要なことだと思います。

社会経済システムを考えていくための視座

社会経済システムを考えるにあたって、思考を開放するためにジョン・ロールズの示した原初の世界観を少し拡張して考えます。

私たちは一切の始まりにあった仮想的な平等の状態にあって、これから自分たちの社会の仕組みをどのような原理原則に従って整えていくかを選択するとします。私たちにはこれから合意された原理によって出来上がった社会のどの辺りに自分が位置することになるかは知らされておらず、自分が男性か女性か、白人か黒人かアジア系か、どの宗教の信者か、どんな才能を有しているか平凡なのか、両親がどの程度裕福か、どの国のどの地域に生まれるか、全く知らされてはいません。それどころか、自分がその社会に今生まれ出るのか、100 年後の未来に生まれるかも分かりません。更に自分は動物や植物として生まれることになる場合もあって、動植物になれば人に飼育されている可能性もありますが、それらも全く知らされてはいません。そのような状況で、2050 年の世界では私たちはどのような社会経済システムを構築するべきなのでしょうか?

社会経済システムは何のためにあるのか

未来のありたい社会に向けた社会経済システムについて考えるにあたり、私たちの営みを俯瞰して観れば、私たちは自然環境などによる資源制約に直面していて、その制約条件下で何らかの社会の目標に向かって活動している状況として見ることができます。個人としては資源制約の中で最大限の自由と幸福を求める一方で、社会という集団に対する仕組みへの期待としては、自分が社会のどのあたりに位置するかが分からない場合、どんな位置にいてもそれなりに満足できるように、私たちは社会目標として何らかの公平性を達成しようとするのではないでしょうか。資源制約に対する効率性は社会のその公平性が保たれる限りにおいて最大化されるべきものです。

さらに、社会目標を考える場合にはどこまでをその構成員として考えていくべきなのかについても拡張が求められています。未来に向けた視座では、私たち人類から、物を言わない生物、地球や自然環境、更には現在の世界の構成員のみならず未来の構成員までを持続可能性という目線で包含していく視座が必要です。

現代の私たちが持つ新たな力と可能性

幸いなことに、私たちはテクノロジーによる強力な武器が与えられている世界に生きており、多様性の成果の情報から前提条件の偏りの要因を解析するためのビッグデータと計算能力を保有しています。これまで、歴史的に所得や教育水準などの非常に限られた尺度でしか検討されてこなかった前提条件の公平性は、例えば教師あり学習による前提条件の因果推論や、社会の厚生の最大化に向けた強化学習による社会の政策の評価など活用して、より多様な前提条件を実証的に分析・評価することで、より公平な社会に向けた改善の強力な推進力にしていくことができるのではないでしょうか。

社会経済システムをありたい姿に変える

社会目標に向けて現代の社会が進むべき方向性はどのようなものになるでしょうか。我々の社会はオットー・ノイラートが言うように大海原を一つの船で航海しているようなものであり、既存の社会基盤である船を沈没させることなく、その部材を漸進的に組み替えていかざるを得ません。例えば、市場経済など高度に発展した資源の利用効率化の仕組みをエンジンとして、俯瞰視点で見た課題を解決する仕組みをビルトインしていくという視座が実際的な社会の改善に必要となるでしょう。

現代社会の仕組みの課題の俯瞰

資本主義による市場経済は価格決定により資源効率を最大化させる意味で効率的な仕組みですが、公平性の観点で評価すると前述した通り不均衡を捨象するほか、財の価値と金額情報が本源的に流通される一方、貨幣換算できるもの以外を外部性として切り捨てている点があります。その結果、私たちは以下のような現代的な課題に直面しています。

  • ・格差問題の拡大
    例: 人間の安全保障・公平性の確保
  • ・将来世代の外部性
    例: 未来倫理 (持続可能な開発・予防原則)
  • ・貨幣価値以外を捨象
    例: コミュニティ・相互扶助・動物福祉・環境エンリッチメント・生命中心主義・地球主義

これらは経済活動に伴う社会目標に対する価値の流れが、財の流通の際に情報が切り捨てられてしまうことにより生じています。

私たちが商品を購入する際に、その商品が社会の目標に対してどのようなインパクトを持っているかが可視化されていないため、私たちの経済活動が社会の目標に対してどの程度の影響を持っているか判断できません。その結果、本来、共感力を有し目の前にいる人に対して手を差し伸べる私たちが、グローバルな社会経済システムでは無知で共感力が駆動しないが故に、無慈悲にも公平性の破壊に加担している可能性があります。

大義ある未来に向けて公平な社会に向けた課題を解決する仕組みの改善は、我々の有する発達した資源利用効率化の仕組みをより社会の公平性を高めるエンジンとして問題解決に向けて上手く活用していくことが求められるでしょう。

価値の可視化と社会の価値増大の仕組みのビルトイン

グローバルな人、生物、自然などの公平性の状況がグローバルに可視化できない状況では、地球全体での共感的配慮が駆動することは難しいでしょう。分断されたバリューチェーンの相互作用を可視化していくことで、このバリューチェーンに関与する人が価値のある気づきを駆動させることが必要となります。

そのために必要なのは地球全体の価値の流れの可視化ではないでしょうか。人・生物・自然といった価値を財のバリューチェーン全体で可視化していくことが考えられます。例えば、人・生物・自然といった社会を構成する要素について価値を可視化するために以下のような価値を定義してみましょう。ここで成果を出す前提条件の公平性を担保する価値をそれぞれ人・生物・自然の Well-being として以下のように定義します。

人のWell-being: ケイパビリティの欠乏に対する富の再分配メカニズムによる「人間の安全保障」を確保 (自由の公平性を担保していくメカニズム)

生物Well-being: 動物福祉・環境エンリッチメントの情報開示と動物環境の整備コストの負担・再分配 (生物権を守る動きを担保するメカニズム)

自然Well-being: 地球環境のフットプリントの情報開示と回復コストを最終利用者負担できる枠組み (自然権と将来世代への責任を担保していくメカニズム)

これの価値に対する影響の情報は経済活動の末端の私たちも把握することができるシステムを作ることで、社会の向上に向けた価値の再分配のメカニズムを駆動させることが考えられます。

図2. 人・生物・自然のwell-being

価値の可視化に向けた社会システム・デザインの具体化

これを実現するためにはどのようなシステムが必要でしょうか。まず全体システム設計の上で、知見の活用可能な既存のグローバル社会システムとして「信用」という無形の価値をグローバルに流通させる金融システムが挙げられるでしょう。価値の創造・流通を担保するために必要なシステムとしては以下のようなものが必要であることを私たちは資本市場から学んでいます。

  • ・価値の可視化、実証研究、教育制度
  • ・価値に対する第三者評価システム、監査システム、開示システム
  • ・価値に対応する包括的なインセンティブ・システム
  • ・信託制度や非営利組織など価値の管理に向けた超長期のフィデューシャリーの器
  • ・価値に対する保険・セーフティネットなどのリスク消化・加工・移転システム
  • ・他の価値システム (通貨など) との連携

また、こうした活動を支える制度の器は、ある単一の政府ではなくグローバルな自律分散型のメカニズムが適切かもしれません。Web3.0 の分散型金融システムに倣い、社会の価値の向上の活動に対してある種の暗号資産のようなトークンをインセンティブとして参加者が授受する中央機関の不要なシステムを分散型プラットフォームとして設計することは検討に値します。

また、お金は消費したらなくなってしまいますが、こうした正味の創造価値については仮に貨幣価値との連携をしたとしても、交換価値の消費とは別に失われない累積価値を各主体別で管理することも一考に値します。この累積価値は経済的に無価値ですが、それそのものが社会レベルで見た「行為の目的となる価値」を示します。各主体において地球共生社会における地球規模の共感的なアイデンティティの確立に資する副次的な効果も期待出来るでしょう。

地球の健康と個人の幸福の調和を支える社会

市場経済の効率性を活用しつつ、外部性を克服し社会の価値の増大に活用していく社会を、資源制約を管理する経済 (効率化) の仕組み、自由・平等の平衡を守る仕組み、ステークホルダーの多様性の拡張の観点でまとめれば 図 2 の通りとなります。

図3. 地球の健康と個人の幸福の調和を支える社会

我々は、大義ある未来に向けて社会の仕組みを変えていく必要があり、また、それを支える個々人の価値観を地球の健康とも適合させていくことで、「地球の健康と個人の幸福の調和」を支える社会を実現していくべきではないでしょうか。