個人の幸福

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個人が幸福を追求すると、社会や世界、そして地球の秩序は乱れるのでしょうか? 私たちは誰もが幸福でありたいと願っています。しかし、個人が幸福になるために、自分を中心とした勝手な行動をとっていては、社会の秩序は乱れてしまいます。

ここでは、個人の幸福を追求することで、社会、世界、そして地球全体をよりよい方向に変えていける何かがあるのではないか、ということについて考えてゆきます。

自利・利他

「自利」、「利他」という言葉があります。

広辞苑によると、「自利」は「自分の利益」を指し、「利他」は「自分を犠牲にして他人に利益を与えること。他人の幸福を願うこと」とあります。「自利」は文字通り自分の利益でありますので、言い換えれば「個人の幸福」と同義ではないかと考えられます。

一方「利他」は、人さまの役に立つこと、親切な行動であるなど、一般的に美しいとされる行動です。「利他の精神」という言葉がありますが、この利他とは、自利との「対立概念」ではなく、自利と「表裏一体」ではないかと考えます。

利他には「相手に喜んでほしい」という私の思い (=自利) が含まれており、そこにある種の「押し付け」や「見返り」が存在する場合が多いのではないでしょうか。利他と考えている多くの行動は、本当に相手のためになっているのでしょうか。実は、自分のためになっているのではないでしょうか。また、利他には社会との関係の中では、限界があるのではないでしょうか。

例えば、社会性や協調を重視することで、過度の自己犠牲によって疲弊し、結果としてモチベーションやエネルギーを失うことは、自分自身にとって、社会全体にとって良いことなのでしょうか。

図1. 利他とは何か?

他利

他利とは「他人が利益を得ること」であり、他人にとっての「自利」と言えます。元々は仏教の言葉のようですが、この「他利」の影響で世界が変わるのではないか、と考えました。

例えば「相手から直接的に利益を得る」だけではなく、「他人の喜ぶ姿を見て、自分の喜びになる」ことのように、相手の行動を受け入れることで、相手が幸せを追求する姿を自分の幸せにすることが、できるのではないでしょうか。「他利 (他利的な状態)」は、個人の間で、「共感/共鳴」がきっかけとなって生まれ、広がっていくのではないでしょうか。

他利についての例を挙げます。

悲しい経験をした友人を少しでも励ましたい、という気持ちから、友人の話を聞きました。友人の話を聞いているうちに、自分自身も同じような悲しい経験をした記憶が蘇ってきて、自分の事のように感じるようになりました。友人は「聞いてくれてありがとう」と言ってくれましたが、むしろ私も友人に対して「ありがとう」という気持ちが込み上げてきました。

これは、私の意識が外向き (友人) から、内側 (自己の内面) に向かっていく感覚になり、最終的には、お互いの話に共感し合い、とても有意義な時間を過ごすことができたという例です。

これは、共感によって他利が生まれた例です。もう一つ、共鳴によって他利が生まれた例を挙げます。

マラソンランナーが頑張って走っている姿を見ると、自然と応援する気持ちが芽生えてくると思います。これは、人が頑張っている姿を見ると応援したくなる気持ち、すなわち、応援者がランナーに共鳴している姿です。そして、応援を受けたランナーはその応援に感動し、応援に応えようとさらに頑張って走ります。そのランナーの姿に感動した応援者は、さらに応援する、というように、ここに輪が生まれています。

これが「他利の輪」が生まれている状態です。他人の喜ぶ姿が自分の喜びに昇華する (ランナーと応援者双方で) 状態となっているのではないでしょうか。このように「他利の輪」が重なり共鳴することで、他利が生まれる可能性が高まり、どんどん広がってゆくと考えられます。

他利とは、利他のように意図して他人に利益を与えるということではなく、共感や共鳴から生まれ、お互いの喜びに発展していくものではないでしょうか。

他利からの世界変容

私たちの行動様式がどのように変化すれば、より良い社会、世界、地球を作ることができるのでしょうか。「自利」「利他」「他利」の考えを踏まえて、2つの観点から考えてみます。

1つ目は「個の確立が世界を変える」ということです。「利他」の考え方は、他人の利益のための自己犠牲を前提としています。しかし、世の中の多くの人が教育や社会的規範を通じて身につけた現在の価値観からすぐに離れて、過度な自己犠牲を払うことには限界があります。一方で「他利」は、自分のためにも他人のためにもなる行動を前提としています。他利の考え方によれば、多くの人が、自分が何かに夢中になり幸せを見出しながら他利の輪を通じた共感を広げ、社会を変化させることができるかも知れません。

このように、世の中の多数の人々が、その価値観を少し変化させることが、世界を変えるきっかけになります。何かに夢中になっている人を応援したり、自分自身が新しい価値観を取り入れながらも一つのことを極めることは、自己の確立につながります。違う価値観を取り入れて自己を確立した上で、個人の幸福を追求することが、他利の輪を通じて、世界を変えられる可能性につながっているのではないでしょうか。

もう1つは「共鳴 (=他利の輪) が個人を変える」ということです。 個人は今あるコミュニティの外へ目を向け、今までと異なった新しいつながりをつくっていくことで、新たな自分の心の動きに気づくことができます。これが、自利の殻を打ち破り、共鳴による他利の輪を広げられる状態です。勇気を持って「ほんの少し外へ目を向ける」ことで、共鳴が生まれ、他利の輪が広がります。これによって、個人も変わっていくのではないでしょうか。

このように、世の中の多数の人の行動様式が少し変化することで、共感による他利の輪が生まれ、共鳴により他利の輪が連鎖して、世界のあり方が大きく変わるのです。

すでに起こった未来とその先の未来

ここまで見てきた「個の確立」や「他利の輪」は遠い未来の話ではなく、すでに現代社会のあちこちで、その兆しをみつけることができます。

「個の確立」を重要視する兆しとしては、SNS で自己を発信する Z 世代、働く意味の見直しや週休 3 日制度の導入、自分の内面を見つめ直すマインドフルネスの流行、などが挙げられます。

また、共鳴からの「他利の輪」の兆しとしては、社会起業家の増加とそれを支えるエコシステム、共感や応援が基軸のプラットフォーム出現、クラウドファンディングの流行と活用、などが挙げられます。

本章の最初に「個人が幸福を追求すると、社会、世界、地球の秩序は乱れるのでしょうか?」という問題提起を行いました。

これまで、「個の確立」から他利の輪が広がれば世界が変わっていくことや、今あるコミュニティの外へ目を向け、「他利の輪」を広げることが必要だと述べてきました。私たちが「個の確立」や「他利の輪」の存在を意識して行動することで、 世界の秩序を乱したり崩したりすることなく、個人が幸福を追求できるのではないでしょうか。

ひとりひとりが本当に夢中になれるものを追いかけ、そして、他人が夢中になるものに、夢中に語ることに共感し、共鳴し、許容することで、他利の輪は広がっていきます。私たちは、自分らしく生きて、共感、共鳴し、許容する。そのように自分の幸せを追求する勇気をもてば、世界も、そして地球も変わるのではないでしょうか。